[伝統の和雑貨]木の国箱根小田原地域は木地師の里、十種の豊富な箱根山から繊細緻密な箱根寄木細工
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日本人の趣味、箱根寄木細工
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◆箱根の山は天下の険(けん)(箱根、畑宿、寄木細工)

樹種の豊富な箱根の山は、木の国木地師の里

 
 鳥取県の大山(だいせん)、京都の嵐山と並んで箱根山は樹種の豊富なことで知られています。
又 箱根の山は、その昔西国と東国を分ける天下の要衝であり、関東覇権を目指すためには箱根を統治することが軍事的にも政治的にも極めて重要でした。
 
 一方、箱根・小田原地域は、木の国でもあり、木地師の職祖とされる「惟高親王」伝説によれば、親王(849〜897)は流罪となり伊豆に下向、親王没後、その家臣団(小倉、加藤)は、相模の国、早川(芦ノ湖から相模湾に流れる)に来住し、木地挽を生業としながら姫宮を養育したと伝えられています。
 木地師の職業集団としての起源は古く、職人として強い団結力を持ち、全国各地の山間部を移動し集落を築きました。
 
・鬱蒼たる小田原の早川紀伊神社
小田原の早川紀伊神社
地元で「木の宮さん」と呼ばれる紀伊神社。惟高親王が祭られる
 
 
・早川に架かる三枚橋
早川に架かる三枚橋
上流は仙石原、下流に小田原宿、三枚橋を渡り旧東海道、畑宿、箱根宿方面へ
 

東海道箱根八里はなつかしさが満載

 
 箱根越えは、時代によりそのルートを変えますが、江戸時代に箱根東海道が成立しました。
 小田原宿より三枚橋を渡り、早雲寺(北条早雲の菩提寺)、正眼寺・曽我堂(曽我十郎・五郎兄弟の地蔵堂)を抜け、須雲川沿いの渓谷を行くと畑宿に入ります。
畑宿は江戸宿駅制度の宿場(小田原、箱根宿、三島宿)ではありませんが、人と馬を継ぎたてる立場(たてば)として「さながら宿駅のごとし」の賑わいであったと言われます。
 
 箱根畑宿も古くから木地師が住み、史実によると、この地の統治に腐心していた北条早雲は「諸役免許・合器(蓋付椀などの挽物)商売自由」の特権を畑宿木地師に与えました。
 
 箱根細工の史料は、江戸期度々登場し、箱根八里の沿道だけでなく、箱根全山で旅人、湯治客の土産となっていたと伝えています。
 
 
・箱根山系の金時山
箱根山系の金時山
坂田の金時で有名な、金時山。
頂上の茶屋も有名です”金時娘の茶屋”
 
 
・秘密箱
秘密箱
箱根寄木細工を代表する秘密箱。指物の知恵がいっぱい。
 
箱根寄木細工の誕生!「この国の人々の本当の趣味を表す」
 
 畑宿には、江戸日本橋23番目の一里塚が再現されています。
 畑宿に入る手前の町はずれ、県道の右手に「箱根寄木細工」の創始者といわれる石川仁兵衛(にへい)嘉永3年没(1790〜1850)の墓があります。仁兵衛は、駿河の指物細工に寄木を配した箱根寄木細工を考案したのではと考えられています。
 
 文政時代(1817〜)、畑宿では、高度な指物技術を基本とする寄木細工が考案され、挽物から指物への転換が行われました。
  この地を訪れたドイツ人医師シーボルト(1826年)は「この国の人々の本当の趣味を表す」と讃えました。
  畑宿の寄木細工は、箱根・小田原木地師全体に支えられ発展して行きます。
 
 多様多種な寄木文様、精密な小寄木技法、秘密箱(仕掛け箱又は知恵箱とも言います)、二人挽きろくろの開発、箱根木象嵌の先駆者として近代化に尽くした白川洗石(湯本茶屋)また小田原の指物師山中常太郎の創案による組木細工等を取り入れ、箱根寄木細工、木象嵌細工は発展してきました。
 
 箱根寄木細工は、今でも海外には人気のある日本の工芸です。
 「繊細、緻密、やさしさ、温もり・・・」日本人の感性がそこにはあるとの評価です。
 又緻密な寄木の模様はミラクルと驚嘆しています。
 
 
・畑宿一里塚
畑宿一里塚
一里塚は街道の目印として道の両端に大きなまんじゅうのような形をしています。
・石川仁兵衛の墓
石川仁兵衛の墓
 
 
 
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