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日本のルーツを感じる土人形 ! |
素朴な素焼の土人形大和出雲人形!
その起源は古く、言い伝えでは相撲の始祖野見宿禰(のみのすくね)による埴輪の原点ともいわれます。奈良県櫻井市の出雲は、出雲の国と密接に関連しています。
不思議ないわれの大和出雲人形ですが、素朴で明るくおおらかで存在感がいっぱいです。 |
素朴で生き生きした存在感 大和出雲人形 |
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素朴でとてもきれいな土人形 |
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時代を写す素朴な大和出雲人形 本体価格(+税) |
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時代を映す素朴な大和出雲人形は、庶民の習俗や歴史の流れを感じます。もみ殻を焼いて作る素焼きの土人形は一時途絶えていましたが、人形の型を修復しながら、窯元の水野佳珠さんが復活しました。 |
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大和と出雲の不思議な縁
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信仰の三輪山(奈良県櫻井市) |
最古の大神神社(おおみわじんじゃ)
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大和の時代、原始信仰のご神体三輪山とそれを祭る神は、大神神社の大国主命(おおくにぬしのみこと別名大黒さん)です。大神神社は日本最古の神社と言われます。大国主命は日本神話にしばしば登場する国造りの神様であり、出雲の国(島根県東部)の巨大神殿出雲大社の神様でもあります。
大和と出雲は不思議な縁で結ばれていました。
日本書紀によれば大国主命の子供、大田田根子(オオタタネコ:根子は根っこの子供で直系を表してます)は、須恵器を製造する村の長であったと伝えます。発掘された土器などからこの当時の工業地帯であったと想像され、須恵器を作る能力から鉄の製造も手がけたと思われます。島根県東部の出雲は古代の資源大国で、良質な砂鉄の産地でもあり、”タタラ製法”は近世まで続き、現代でも純度の高い鋼の製法は注目されています。 |
大和の出雲人形の由来、埴輪の原点
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垂仁天皇の32年目に皇后の日葉酢媛命(ヒホスヒメノミコト)が亡くなります。
垂仁天皇は「殉死の慣行はよくない。皇后の葬礼はどうしたらよいか」と問いかけます。この時、相撲の始祖といわれる野見宿禰(ノミノスクネ)がすすみでて「君王の陵墓に生きている人を埋め立てるのはよくありません。とても後世に伝えられ事ではありません。なんとか都合のつくことを計って奏言します。」といった。
野見宿禰は、出雲の国から土部(はじべ)を100人呼び、 埴(はにつち)で人、馬やいろいろな形の人形を作り天皇に献上しました。
これが大和出雲人形の始まりといわれ 、埴輪の原点ともいわれます。 |
昔の作りの大和出雲人形
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窯元水野佳珠 |
素朴で野趣に溢れる出雲人形は、伊勢街道の旅人や長谷詣りのお土産に喜ばれ、連綿と伝えられました。昭和の初めJR奈良線開通と共に海道は寂れ、その後洪水などの影響で型がながされ製作は途絶しましたが、窯元であった水野佳珠(奈良県櫻井市出雲の在住)さんが再び伝統の土人形を復活しました。
素朴な表情かなつかしくとてもきれいな色合いの大和出雲人形です。 |
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