|
|
|
木曽路はすべて山の中 |
江戸時代、江戸と京都を結ぶのは東海道と山あいの続く中山道の二つの街道でした。中山道は江戸日本橋から京都三条までの六十九次の旅です。
木曾十一宿は板橋宿から三十三番目の贄川宿(にえがわ)、奈良井宿、藪原宿、宮ノ越宿、福島宿、上松宿、須原宿、野尻宿、三留野宿、妻籠宿、馬籠宿の間の11宿まらなっています。
島崎藤村の名作「夜明け前」では”木曽路はすべて山の中である。あるところはそばづたいに行く崖の道、あるところは数十間の深きに臨む木曽川の崖・・”と紹介しています。関東方面からは塩尻峠を抜けて木曽路に入ります。木曽路からは広大な山頂をみせる木曾御嶽山が雲間に隠れたり顔を出したりめまぐるしく変化しています。
御嶽山のふもとには、木曾義仲が挙兵したとき活躍した日本在来種の木曽馬が保護されています。外国産に比べてやや小柄ですが丈夫で、厳しい木曾の自然に耐える力を持っています。 |
|
|
・木曾御嶽山 |
|
広大な山頂をみせる御嶽山(3067m) |
|
|
|
・保存される木曽馬 |
|
木曽馬は、日本に昔から飼われていた「日本在来馬」です。 |
|
|
|
|
江戸時代にタイムスリップ |
贄川宿(にえがわ)から国道19号線沿いには奈良井川があり、国道を右折し奈良井川に架かる橋を渡ると、”奈良井千軒”と謳われた奈良井に着きます。
町の中に入るとまるで江戸時代にタイムスリップです。木の温もりがいっぱいの家々は、ぐぐり戸や櫺子格子(れんじこうし)作りの宿屋が立ち並んでいます。
宿場の中程には、ゑちごやの看板のある創業190年の旅籠越後屋があります。越後屋の軒には明治時代のガス灯があって、旅籠屋情緒がいっぱいです。
国道からはずれた旧中山道沿いの奈良井宿は、開発から逃れて見事に町並みが保存されました。
町はずれの鎮神社(しずめじんじゃ)横から細い道をたどると鳥居峠です。標高1097Mの鳥居峠はかっては木曽路随一の難所でした。
木曽路は歴史と伝統の街道です。木曾義仲が軍を起こした宮ノ越、木曽路の政治・経済の中心木曾福島、木曾八景木曾の桟(かけはし)、宿場町が見事に保存される妻籠(つまご)馬籠本陣の島崎家屋敷跡など。
名古屋からも関東からも木曽路は、旅人気分が味わえます。 |
|
|
・奈良井宿 |
|
奈良井千軒と言われた賑わいの名残をみせる宿場町 |
・奈良井にかかる橋 |
|
|
|
|
|
れんじ・格子のある、ゑちごやの看板のある昔からの旅籠 |
|
|
|
|
|
木曽平沢は漆器の町 |
尾張藩時代、木曾は森林保護が徹底され自由に樹木の伐採ができませんでした。木曾の五木と呼ばれる、桧(ひのき)、さわら、あすなろ、ねずこ、まきは昔から厳重に保護されています。「木1本首ひとつ、枝1本腕1本」と命の重さと同様の扱いでした。
耕地のない木曾谷の人々は、木曾の良材を生かし、めんばや箱膳、盆などを漆で加工し、街道を行き交う旅人に商いし生計を立てました。
木曾漆器は600年前には、すでに作られていたようです。
漆器の町木曾平沢では、今でも漆器が盛んです。町には軒並み漆器店の看板やのれんが垂れ下がり、全国でも有数の産地を形成しています。平沢も旧街道沿いに町並みがあり、なつかしい味わいの町です。
木曾漆器は、加飾をほどこさないで無地の漆の素朴な美しさが特徴です。日常使いに徹した漆器作りが行われています。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
簡素な伝統美 木曽漆器 |
|
● 木曾塗りお弁当箱・一閑張りおむすび弁当 本体価格(+税) |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
6,000 |
8,000> |
9,000 |
15,000 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
16,000 |
18,000 |
8,000 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
12,000 |
14,000 |
|
8,000 |
10,000 |
|
|
● 手に馴染む深い味わい木曽漆器 お椀 本体価格(+税) |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
5,000 |
6,000 |
9,000 |
8,000 |
15,000 |
|
|
● 軽くて持ち易い冷めない コーヒーカップ・湯呑 本体価格(+税) |
|
|
● 縁起の良い桑の木の器 本体価格(+税) |
|
|
● 木曽サワラ木曽春慶塗飯切り、江戸びつ 本体価格(+税) |
|
|
|
|